STORMBRINGER / DEEP PURPLE (嵐の使者/ディープ・パープル)
1. Stormbringer 2. Love Don’t Mean A Thing 3. Holy Man 4. Hold On 5. Lady Double Dealer 6. You Can’t Do It Right 7. High Ball Shooter 8. The Gypsy 9. Soldier Of Fortune
※曲目はオリジナルアルバムの曲目を紹介しております。 |
※ジャケットは発売された国や時期によって各種あるので、ご了承ください。邦題は「嵐の使者」と言います。
DEEP PURPLEのメンバーは1974年アメリカン・ツアーとイギリス・ツアーを終えて、8月からこの「STORMBRINGER」のレコーディングに入ります。今回はドイツのミュンヘンのスタジオで録音したのです。新メンバーのデビッド・カバーディルとグレン・ヒューズの占める位置が増しており、アルバムはファンキーでソウルっぽい楽曲が増えて行くのです。
そんなDEEP PURPLEの音楽性にリッチー・ブラックモアだけが何となく不安を持っていたのです。「このままで行けば次のスタジオ・アルバムはもっとファンキーでハード・ロックとはかけ離れたものになってしまうかも知れない」そう思うようになったのです。不幸なことにその時期はリッチーが離婚問題に直面していた時期でもありました。プライベートな問題で、レコーディングに集中できなかったことが、このアルバムの出来にも影響しているようです。
メンバーはレコーディングののちイギリスツアーに再び出て、DEEP PURPLEを歓待してくれるドイツへのツアーと続くのです。そして12月のアルバム発売に合わせて全米ツアーが11月からスタート。「STORMBRINGER」は全英6位、全米20位のセールスを記録します。
さてアルバム1曲目“Stormbringer”・・・この曲はすでにWHITESNAKEっぽい曲調だと思います。リッチー・ブラックモアのギターが入ると、あ、PURPLEだって分かりますが。
2曲目“Love Don’t Mean A Thing”・・・これもグレンの歌が出て来るまでは完全にWHITESNAKE調でしょう。私は個人的には初期のWHITESNAKEって全然好きではなかったので、この曲もあまり好きではないです。リッチーはこんなギターを弾いていてさぞかしフラストレーションがたまっただろうと思います。
3曲目“Holy Man”・・・グレン主導のソウル・ソング。救いはリッチーのなごみのギターですね。ポール・ロジャースが歌えばもっと名曲になったかも知れません。
4曲目“Hold On”・・・ここまで来るとロックと呼べない音楽になっていると思います。音楽的に悪いとは言いませんけど。
5曲目“Lady Double Dealer”・・・この曲はリッチーのギターもかなりフィーチャーされていて、ノリもいいと思います。
6曲目“You Can’t Do It Right”・・・グレンのソウル・ソング。当時アメリカで流行っていたテレビ番組「ソウルトレイン」で歌っても受けるのでは?
7曲目“High Ball Shooter”・・・なかなかキャッチーな曲で、リッチーのギターのそれなりにいいフレーズを刻んでいます。ただ、やはりリッチーである必然性はない曲ではあります。
8曲目“The Gypsy”・・・前アルバムに入っていた“Mistreated”のようにリッチーのギターが哀愁を誘い、いいできあがりです。
9曲目“Soldier Of Fortune”・・・アルバムの中で一番好きな曲です。RAINBOWの“Catch The Rainbow”っぽくスローで心地いいバラードです。
実はリッチー・ブラックモアはこのアルバムのレコーディングの際、QUATERMASSの“Black Sheep Of The Family”というカバー曲をレコーディングしたいと希望するものの他のメンバーに猛反対されたため、PURPLEにおいて自分の位置の小ささを感じたようです。
そこでリッチーはPURPLEのアルバムレコーディング後、行われるはずだったアメリカン・ツアーが中止になった時期を利用して、PURPLEの全米ツアーの前座をしていたELFのボーカリストのロニー・ジェームス・ディオとともに、この“Black Sheep Of The Family”とロニーとの共作の“Sixteenth Century Greensleeves”をレコーディングしました。当初はシングルとして発売する予定でしたが、曲のできに満足したリッチーはPURPLEをやめて自分のバンドを作ろうと決心し、ELFの他のメンバー(ギタリストを除く)も加えて、PURPLEの全米ツアーとヨーロッパツアーの合間の1975年2~3月にかけてミュンヘンでレコーディングしたのです。
そして、4月7日のパリ公演を最後にリッチー・ブラックモアがディープ・パープルを脱退したのでした(ただし公式発表されたのは6月になってからでした)。
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