LED ZEPPELIN I(1st ALBUM) / LED ZEPPELIN(レッド・ツェッペリンI/レッド・ツェッペリン)

2020年7月21日

 

LED ZEPPELIN I (1ST ALBUM)

1. Good Times Bad Times

2. Babe I’m Gonna Leave You

3. You Shook Me

4. Dazed And Confused

5. Your Time Is Gonna Come

6. Black Mountain Side

7. Communication Breakdown

8. I Can’t Quit You Baby

9. How Many More Times

※曲目はオリジナルアルバムの曲目を紹介しております。

 まずレッド・ツェッペリンのアルバム・レビューを始める前にお断りしておきます。私はツェッペリンの音楽は好きですが、正直崇拝者というほどではありません。ですので、ツェッペリン愛好家のかたが読まれると腹の立つようなことも書くと思います(その理由も逐次書いて行きますが)。その点はご容赦いただきたいと思います。

 ツェッペリンというといい意味でも悪い意味でもハード・ロックの祖と言われるようなところがありますが、ハード・ロックと言えばCREAMが元祖だとかTHE WHOのほうが先だなどと言われるかたもいらしゃると思います。しかし、アルバム・セールスやコンサート興業の点で、ハード・ロックをビッグ・ビジネスとして扱われるようになったのは、やはりこのレッド・ツェッペリンの力が大きいように思います。
 もっとも、ツェッペリンが現役で活躍していた1970年代というと“ハード・ロック=悪、不良が聴く音楽”といういようなおかしな図式が生まれて来て、チャートを発表していたビルボード誌でさえも、ハード・ロックのレコード売上げは水増しならぬ、水減らし・・・つまり実際に売れている数より少なめに発表して、PTA連中の気分を害さないような配慮をしていたというようなことをのちにビルボード誌自身が書いていました。

 とにかく1970年代のツェッペリンのアメリカでの人気はただ者ではなく、コンサート会場の動員記録なども1960年代にビートルズが作ったいた記録をことごとく塗り替えて行ったという事実はすさまじいものだったようです。
 当時ロックの3大ギタリストとして、同じYARDBIRDSというグループに所属したことのある、エリック・クラプトンやジェフ・ベックともに、ツェッペリンのギタリストであるジミー・ペイジの名前も入っていましたが、評論家の目では、クラプトンやベックに比べるとジミーの評価は低く、クラプトンが速弾き、ジェフが職人肌と言われるのに対して、ジミーに対しては「(ビジネスライクで)クレバーな」ギタリストとしばしば言われていました。

 たしかにジミーはツェッペリンの総監督のような人でマネージャーのピーター・グラントとともに、ツェッペリンという組織をビジネスとして成功していくためにどうプロデュースしていいかを常に考えていた賢い人だったと言えるでしょう。コンサートでいかに見映えをよくするかを考えていた人でもあり、彼独特の下っ腹あたりの低い位置でギターを弾くスタイルも、実際やってみれば分かりますが、慣れないと非常に弾きづらくてしかたないような奏法です。

 ジミーは自分自身でクラプトンのように上手に歌が歌えず、ベックのようにギタープレイが職人肌でなかったのが逆に幸いして、バンドとしてのまとまりを大切にすることで成功をおさめて行ったと言えるでしょう。もちろん、ジミーの才能だけの成せる技ではなく、ロバート・プラントの卓越した歌唱力やジョン・ボーナムのパワフルかつ正確無比ともいえるドラミング、そしてジョンポール・ジョーンズのスタジオ・ミュージシャンとして長年培って来ていたマルチプレヤーとしての才能や編曲・作曲能力など他の3人のメンバーの腕のすごさも特記すべきですものが(ジミーがメンバーを探すうちに、最高とも言えるメンバーを結集できたことはたしかに成功の大きな鍵になったと言えます)。

 他方、ツェッペリンといえば、かつてローリング・ストーン誌というアメリカの音楽誌が「黒人音楽の遺産を食いつぶす盗人」とツェッペリンを皮肉ったように、他人の作ったフレーズをさも自分たちが作ったかのような著作権表示をして、著作権料を払おうともしなかった酷い集団という一面も明記しておかなければならないでしょう。
 そもそもブルースは3つのコード進行からなる音楽だけに、似た曲も多いのもたしかですが、いかにも盗んだだろうと思えるような曲やフレーズが多いのもたしかです。
 それにも関わらず、ツェッペリンは海賊版や無許可のグッズ販売には大いに目くじらを立てていたという側面もあり、ジミー・ペイジがしばしば「守銭奴」呼ばわりされて来たというダークな面があることも否定できないと思います。

 ジミーはメンバーが脱退し、YARDBIRDSとして北欧ツアーを行う契約があったため新生YARDBIRDSとして開始したツェッペリンですが、デビューまでは必ずしも順風満帆であったとは言えず、ジミーもいかにファンに受け入れてもらえるかを模索したようです。ジミーとYARDBIRDSの名前を使ってまず自分たちのサウンドを知ってもらうこと、それが得策と割り切って始めたようです。ツェッペリン デビュー
 そして、ツェッペリンがジョーン・ボーナムが亡くなるまで、活動して来られたのも、音楽活動をしっかりとビジネスと捉えて、存続させるべくきっちりと管理して来たマネージメントの賜物と言えるでしょう。当然ながらメンバー個々のテクニックや結束も卓越したものだったこともあります(結成の時点でジミーが選びうる中で最良のメンバーたちを選択をしたのが原点ですが)。でも、テクニック云々というより、彼らはグループとしてのまとまりを何よりも重視していたのです。
 コンサートの後には殴り合い(特にジョンとロバートがよく言い合ったようですが)をするほど真剣に音楽の反省や互いの指摘をし合ったとのこと。

 グループ名の由来はwikipediaに詳しいので詳しくは書きませんが、鉛(lead←この場合はレッドと発音します)のツェッペリン号(飛行船の名前)というところから来ているようですね。うまく飛ばない飛行船をそのままグループ名にしたのが、皮肉っぽいというか自虐的とも言えますか、もともとロックは反体制の若者の音楽ですから、かえってウケると思って付けたのかも知れませんね。THE WHOのドラマー、キース・ムーンの発想で、実はジェフ・ベック、ニッキー・ホプキンス、ジミー・ペイジ、ジョン・ポール、キース・ムーンといった面子の別のプロジェクトで使われる予定だったそうですが・・・。ヤードバーズよりはずっと響きもいいと思います(蛇足ですが、日本では「レッド・ツェッペリン」と呼ばれていますが、英語的に発音すると“レッド・ゼペリン”が近いでしょう)。

 当時としては破格の契約金でアメリカのアトランティック・レコードと契約したそうですから、デビュー当時からかなりの期待をもって迎えられたことになるのでしょう。

 さて、アルバム・レビューとして脱線していたお話をそろそろ元に戻します。 デビュー・アルバムのジャケットは燃え移るツェッペリン型飛行船ヒンデンブルク号です。ツェッペリンのアルバム・ジャケットは毎回凝った作りになっていてそれだけでも話題になることが多かったですね。

 アルバム・ジャケットには面白いエピソードがあります。現在はツェッペリンのアルバムは日本ではワーナーから発売されていますが、当初はポリドールレコードから発売されていました。
 当時の洋楽のアルバム・ジャケットには堂々と日本語でプリントされているのが、多く、初版のジャケットの裏面は以下のような文字と写真が記載されていたようです(下の画像をクリックすると大きな画像で見られます)。


レッド・ツェッペリン デビューアルバム 日本盤初版

 ジミー・ペイジ以外の3人の写真が入れ替わっています。今となっては信じられないことですが、デビュー・アルバムで当時海外の情報(アメリカ以外)があまり入らなかったので、こういうことも起きたのでしょう。熱狂的なツェッペリンのファンではかなり話題になっていて、今ではレア・アイテムとして高価で取引されているそうです(私もツェッペリンは4枚目から聴き始めたのでこのジャケット・ミスは知りませんでした。

 余談ですが、たとえば、CREAMというクラプトンが在籍したグループは、日本では当初“THE”という冠詞をつけて、しかも“THE CREAMS”と複数形で呼ばれていたそうです。またでクイーンが初来日した時の共同記者会見では、ベースのジョン・ディーコンのネーム・プレートが“ディーコン・ジョン”と名字と名前が入れ替わっていて、あとで間違いである旨聞いたジョンが凄く怒ったという話です。

 ツェッペリンといえば、ハード・ロックの王道という語られ方もしますが、アルバムを個々に聴いてみるとかなりアコースティックなサウンドもあったり、ブルースが基調かと思いきや、トラディショナルな曲もあったりと多彩な曲調があることに気づかされます。

 デビュー・アルバムは1968年10月、ロンドンのオリンピック・スタジオでわずか9日間、36時間で録音されたそうです。プロデュースはジミー・ペイジ。すでに北欧コンサートで十分曲に関して打ち合わせていたため、レコーディングには苦労しなかったようです。
 CREAMまでをブルース・ロックと呼びながら、ツェッペリンを敢えてハード・ロックという呼び方をするようになったのは、彼らのロックのスタンスが単なる黒人のモノマネではなく、独自の自分たちの音楽というスタンスを取ったからでしょう。ファースト・アルバムはメリハリが効いたアルバムに仕上がっています。

 1曲目の“Good Times Bad Times”はこれぞハード・ロックの名作と言わんばかりの曲に仕上がっています。ツェッペリンのハードな曲はタメの効いて遊びのあるラフさが特徴でしょう。いきなりディストーションの効いたギターのリフから始まり、ハイハットのシャッフルが入るそのかっこよさ。カウベルが入り、ロバートのハイトーンのボーカル、そして刻まれるバスドラムの三連打の正確無比さ・・・。また1つのバスフォラムをあれだけの速度と迫力で連打する威力は圧倒されます。ジョン・ポールのベースラインはあくまでもおとなしめでも、そのラインが印象的です。
 デビューアルバムの1曲目という位置に似つかわしい仕上がりだと思います。実際にプレイしてみるとよく分かりますが、これだけうまく合わせてプレイするのはよほど息が合っていないとできません。

 2曲目“Babe I’m Gonna Leave You”・・・ジミー・ペイジはジョーン・バエズ・バージョンを参考にアレンジしたと言っています。そのジョーン・バエズのアルバムにこの曲がトラディショナルである旨、表記してあったことは発売当初はその旨書いてありましたが、のちのアメリカの女性歌手アン・ブレドンのオリジナルであると判明したようです。アン・ブレドン・バージョンもジョーン・バエズ・バージョンもYou Tubeなどで聴くことができますが、やはりロバート・プラントの声量いっぱいの表現力豊かなこのツェッペリン・バージョンが一番できがいいと思います。
 ハード・ロックとは言えない曲だが、こういうスローな曲を聴くとロバートのボーカルのうまさには何度聴いてもほれぼれしてしまいます。

 3曲目“You Shook Me”・・・シカゴ・ブルースの重鎮マディー・ウォータースのベースを務め、曲も沢山提供していたウィリー・ディクソンの作。ツェッペリンはマディー・ウォータース・バージョンを参考にした模様です。ウィリー・ディクソン、マディーバージョンともにかなり渋めで、ツェッペリン・バージョンとどちらがいいかは好みの問題ではないかと思います。
 ちなみに、ウィリーはエレキ・ベースではなく、ウッド・ベースをプレイしていました。それも味があります。
 ツェッペリン・バージョンも結構オリジナルに忠実な仕上がりになっています。おそらく、多くのかたは年とともにウィリーやマディーのほうが好きになって行くのではないかと思います(私も、かつてストーンズやクラプトン、ツェッペリンから入り、だんだんブルースにハマって行った一人です)。

 4曲目“Dazed and Confused”・・・初期の名曲として、人気もあり、コンサートでも延々と演奏されて来た曲です。ギターをバイオリンの弦で弾くという奏法はジミー自身が考案し始められたもので、ライブで演奏する時もかなり視覚的なインパクトがあります。
 ジミー・ペイジはこのアルバムを録音した頃はギブソンのレスポールをまだ弾いておらず、フェンダー系(ジミーは主にテレキャスターを使用)のシングルコイル・ピックアップの繊細な音が特徴のギターをプレイしていました。この曲でもそのその繊細なギターの音色がよく出ています。
 幻想的な曲調はともすれば、ドラッグをイメージさせますが、当時はこの手のサイケな感じがよく流行っていたようです。
 この曲はジミー・ペイジがYARDBIRDS時代に作った曲の焼き直しらしいが、もともとフォーク系ミュージシャンのジェイク・ホームズが67年にレコーディングしている作品で、ジミー・ペイジが当時在籍していたヤードバーズが同じ年にニューヨークでライブを行った際、ジェイクがその前座を務め、その時にジェイクの“Dazed And Confused”を聴いていっぺんに曲を気に入り、演奏リストに加えたという噂が流れていました。
 ジェイク・ホームズ自身は自分もジミーのことは尊敬しているので、金銭的な問題にはしたくないが、自分の曲を使ったことは認めて欲しいと語っていたようですが、ジミーはこれをかたくなに拒否しつづけ、結局2010年に裁判にまで発展したと言います。裁判では結局、ジェイク自身も英国のトラディショナルな曲を参考にしてこの曲を作ったと認定されて、両者痛み分けとなった模様です。

 5曲目“Your Time Is Gonna Come”・・・レコードだと、ここからB面に入りました。ジョン・ポールの弾くハモンド・オルガンに導かれるミドル・テンポの曲。クレジットはジミーとジョン・ポールとなっていますが、歌詞に関しては初期はロバートとジミーが分担して作っていたと言います。もっとも、ロバートは契約の関係で自分を著作権者の明記できなかったため、ロバートの名前の明記がされてないようです。

 6曲目“Black Mountain Side”・・・ジミー・ペイジのアコースティック・ギターをフィーチャーしたインストナンバー。ハードロックとは無縁のインド風の曲。クレジットはジミー・ペイジの曲とありますが、実のところはイギリスのフォーク・シンガー、アン・ブリッグスが、友人の民族音楽史家、アル・ロイドから伝授された短いトラディショナルナンバーを元に作曲した「Black Water Side」が原曲だとされています。

 7曲目“Communication Breakdown”・・・ロバート以外の3人のメンバーの名前がクレジットされた曲。ストレートなハード・ロック・ナンバー。女性とうまくコミュニケーションができない男のもどかしい気持ちを歌ったラブソングで、そのストレートな気持ちをうまく表現した曲と言えるでしょう。当時彼らはラジオのヒット曲を狙うような安っぽいバンドではないと語っていましたけど、この曲なんかは3分もない短いナンバーなんですけど。彼らは本国イギリスではホントにシングルはほとんど出さなかったようですね。

 8曲目“I Can’t Quit You Baby”・・・3曲目同様ウィリー・ディクソンの作品。多くのミュージシャンにカバーされて来た名曲の1つです。ツェッペリンはオーティス・ラッシュのカバー・バージョンを元にしているようです。この曲のジミーのギター・ソロはなかなかできがよく味があると思います。

 9曲目“How Many More Times”・・・ロバート以外の3人の作という表記になっています。リフ部分はジョン・ポールが考案し、さびはジミーが作ったようです。曲の中にハウリン・ウルフの“How Many More Years”、アルバート・キングの“The Hunter”がほぼ原曲に近い形で使われていたため、後に裁判となり、著作権料を幾分支払う形で決着したようです。
 私はこの曲を聴くと眠気を覚えて寝てしまうので、眠れない時に睡眠薬代わりに聴いている時期がありました。幻想的な作りになっているせいでしょう。

 かつては、ツェッペリンというと多くのハード・ロックファンに愛され、支持されて来ましたが、ブルースの良さを理解できないかたにはその良さはなかなか理解できないため、ハード・ロックの入門編として聴くには無理があるのではないかと思います。またリフやフレーズにも、大衆受けでないような独特なものを敢えて使う(それが玄人受けする理由でもあるのですが)のが、一筋縄でないところかも知れません。
 ただ、そのテクニックとかが半端ではないために、プロのミュージシャンなどがテクニックを上げるためにコピーするにはうってつけのバンドのように思います。マネはできても、完コピはかなり難しいと思いますけど。

 ツェッペリンが最初からもう少し、黒人たちのブルースに敬意を表してくれていれば、若いロック・ファンにはもっともっとブルースが浸透して行ったのではないかと思うと残念な部分があるのも確かです。

 その部分をマイナスしても、非常によく出来たアルバムであるということは間違いないでしょう。ツェッペリンのアルバムの中で、このデビュー・アルバムが一番好きというファンもかなり多くいるのもうなずけます。

 

特報!
 このたび、ジミー・ページ、プロデュースによるリマスター盤の発売が1枚目から3枚目(I-III)までされることになりました。
 完全未発表の超貴重な音源を初めて追加収録。ブックレット、DLカードなど特典満載の超豪華限定BOXも含め、 初期アルバム3作、各3パッケージという豪華な代物。

 マニアなら是非コレクションに加えたいシリーズですね。

 レッド・ツェッペリンI