STORMBRINGER / DEEP PURPLE (嵐の使者/ディープ・パープル)

2020年5月4日

 

STORMBRINGER/DEEP PURPLE

 

1. Stormbringer

2. Love Don’t Mean A Thing

3. Holy Man

4. Hold On

5. Lady Double Dealer

6. You Can’t Do It Right

7. High Ball Shooter

8. The Gypsy

9. Soldier Of Fortune

 

※曲目はオリジナルアルバムの曲目を紹介しております。

※ジャケットは発売された国や時期によって各種あるので、ご了承ください。邦題は「嵐の使者」と言います。

 DEEP PURPLEのメンバーは1974年アメリカン・ツアーとイギリス・ツアーを終えて、8月からこの「STORMBRINGER」のレコーディングに入ります。今回はドイツのミュンヘンのスタジオで録音したのです。新メンバーのデビッド・カバーディルとグレン・ヒューズの占める位置が増しており、アルバムはファンキーでソPURPLE IIIウルっぽい楽曲が増えて行くのです。
 そんなDEEP PURPLEの音楽性にリッチー・ブラックモアだけが何となく不安を持っていたのです。「このままで行けば次のスタジオ・アルバムはもっとファンキーでハード・ロックとはかけ離れたものになってしまうかも知れない」そう思うようになったのです。不幸なことにその時期はリッチーが離婚問題に直面していた時期でもありました。プライベートな問題で、レコーディングに集中できなかったことが、このアルバムの出来にも影響しているようです。

 メンバーはレコーディングののちイギリスツアーに再び出て、DEEP PURPLEを歓待してくれるドイツへのツアーと続くのです。そして12月のアルバム発売に合わせて全米ツアーが11月からスタート。「STORMBRINGER」は全英6位、全米20位のセールスを記録します。

 さてアルバム1曲目“Stormbringer”・・・この曲はすでにWHITESNAKEっぽい曲調だと思います。リッチー・ブラックモアのギターが入ると、あ、PURPLEだって分かりますが。

 2曲目“Love Don’t Mean A Thing”・・・これもグレンの歌が出て来るまでは完全にWHITESNAKE調でしょう。私は個人的には初期のWHITESNAKEって全然好きではなかったので、この曲もあまり好きではないです。リッチーはこんなギターを弾いていてさぞかしフラストレーションがたまっただろうと思います。

 3曲目“Holy Man”・・・グレン主導のソウル・ソング。救いはリッチーのなごみのギターですね。ポール・ロジャースが歌えばもっと名曲になったかも知れません。

 4曲目“Hold On”・・・ここまで来るとロックと呼べない音楽になっていると思います。音楽的に悪いとは言いませんけど。

 5曲目“Lady Double Dealer”・・・この曲はリッチーのギターもかなりフィーチャーされていて、ノリもいいと思います。

 6曲目“You Can’t Do It Right”・・・グレンのソウル・ソング。当時アメリカで流行っていたテレビ番組「ソウルトレイン」で歌っても受けるのでは?

 7曲目“High Ball Shooter”・・・なかなかキャッチーな曲で、リッチーのギターのそれなりにいいフレーズを刻んでいます。ただ、やはりリッチーである必然性はない曲ではあります。

 8曲目“The Gypsy”・・・前アルバムに入っていた“Mistreated”のようにリッチーのギターが哀愁を誘い、いいできあがりです。

 9曲目“Soldier Of Fortune”・・・アルバムの中で一番好きな曲です。RAINBOWの“Catch The Rainbow”っぽくスローで心地いいバラードです。

 実はリッチー・ブラックモアはこのアルバムのレコーディングの際、QUATERMASSの“Black Sheep Of The Family”というカバー曲をレコーディングしたいと希望するものの他のメンバーに猛反対されたため、PURPLEにおいて自分の位置の小ささを感じたようです。

 そこでリッチーはPURPLEのアルバムレコーディング後、行われるはずだったアメリカン・ツアーが中止になった時期を利用して、PURPLEの全米ツアーの前座をしていたELFのボーカリストのロニー・ジェームス・ディオとともに、この“Black Sheep Of The Family”とロニーとの共作の“Sixteenth Century Greensleeves”をレコーディングしました。当初はシングルとして発売する予定でしたが、曲のできに満足したリッチーはPURPLEをやめて自分のバンドを作ろうと決心し、ELFの他のメンバー(ギタリストを除く)も加えて、PURPLEの全米ツアーとヨーロッパツアーの合間の1975年2~3月にかけてミュンヘンでレコーディングしたのです。

 そして、4月7日のパリ公演を最後にリッチー・ブラックモアがディープ・パープルを脱退したのでした(ただし公式発表されたのは6月になってからでした)。