WHO DO WE THINK WE ARE / DEEP PURPLE (紫の肖像/ディープ・パープル)

2020年6月26日

 

WHO DO WE THINK WE ARE/DEEP PURPLE

 

1. Woman From Tokyo

2. Mary Long

3. Super Trouper

4. Smooth Dancer

5. Rat Bat Blue

6. Place In Line

7. Our Lady

 

※曲目はオリジナルアルバムの曲目を紹介しております。

※ジャケットは発売された国や時期によって各種あるので、ご了承ください。泡1個1個の中にメンバーの写真が投影されているので邦題は「紫の肖像」と言います。

 さて、このアルバムは初来日前の1972年7月からすでにレコーディングが細切れに行われていたのですが、メンバーたちの病気やリッチーとギランの不仲が原因でなかなか進みませんでした。そしてギランは日本公演後のアメリカ・ツアーの最中に正式に脱退の意志を関係者に伝えていたといいます。その後、ライブの予定はビッシリあったので、淡々とスケジュールは続けられたものの、リッチーとギランはステージ上で目を合わせることすらしなくなっていったのです。

 それでも何とかアルバムは完成し、1973年2月にアメリカで3月イギリスで発売されました(全英4位、全米15位)。アルバムの原題がその微妙な状況を暗示していますね(俺たちは一体、俺たちを誰だと思っているのだろうか?)。その頃、グループは大きな選択を必要としていました。リッチーがグループを脱退したいと言い始めていたのです。ジョンは何とかリッチーを留めようと説得しましたが、その条件としてギランだけでなくロジャー・グローバーの脱退も要求したのです。

 ジョンはその要求を受け入れるしかありませんでした。ロジャーもだんだん自分がのけ者になっていく空気を察知していたのですが、それが決定的になったのが、2度目の来日を控えた6月、まだアメリカン・ツアーの最中だったのです。

 日本のファンはこう言った事情は全く知らずにDEEP PURPLEの2度目の来日公演を心待ちにしていたのです。「紫の肖像」で予習しながら、ファーストシングルとしてカットされた“Woman From Tokyo”を演奏してくれるだろうか?などと考えながら・・・。

 さて、こんな事情を知ってこのアルバムを聴くとかなりがっかりとしてしまうのですが、偏見をぬぐい去って聴けばアルバム自体は悪いものではないと思います。

 1曲目“Woman From Tokyo”・・・来日を強く意識して書かれた曲のように思いますが、ギランがいうには、「別に東京がモスクワになっていてもそう変わりない」という程度のものだったようで、日本滞在中に彼女が出来たなんてことは少しもなかったようです。“Tokyo”が「トカイヨウ」にきこえるから、日本人にはかなり違和感がありますが、当時のDEEP PURPLEのメンバーにしてみれば「別にそれがどうしたっていうんだ?」程度の問題にしか過ぎなかったようです。PURPLEらしい曲というより、かなりヒットを意識したシングル向けの曲として作られたのですが、「トカイヨウ」に違和感があってか日本でもそれほど売れず、2度目の来日公演でもプレイされませんでした(というより、このアルバムからは1曲もプレイされていません)。

 ただ、中間のスローテンポ部分が心地よく、なんとなくジェット機で空を飛んでいる感覚になるので私は好きです(その後、再結成し来日後、この曲はライブでプレイされるようになります)。

 2曲目“Mary Long”・・・渋めの曲ですが、この曲ではリッチーのギターもなかなか頑張ってます。比較的早い時期に録音されたのかも知れませんね。来日前のヨーロッパ公演では何度か演奏されていたようですが、再来日公演では一度もプレイされませんでした。

LIVE IN TOKYO 1973

 3曲目“Super Trouper”・・・このアルバムはリッチーのやる気になさが随所にうかがえるアルバムになっていますが、その分、ジョン・ロードがしっかりと補っていると思います。

 4曲目“Smooth Dancer”・・・ギターはソロすらないですが、ジョンのキーボードはアグレッシブです。ソロはなくてもリッチーの作るフレーズはやはり味があり、リッチーが控えめにプレイしたからゆえの味が出ています。

 5曲目“Rat Bat Blue”・・・アルバムの中で一番好きな曲です。タイトル自体は語呂合わせのシャレのようですが、リッチーの弾くフレーズは印象的ですし、ギランのシャウトも決まって、ジョンの今までで一番華麗とも思えるようなソロに引き込まれてしまいます。

 6曲目“Place In Line”・・・今までになかったスローテンポの曲。“Lazy”に少し似ているので、メンバーがもう少ししっかりとタッグを組んでいれば名曲になったかも知れないのですが、なり切れずに終わったという曲。

 7曲目“Our Lady”・・・第1期を思わせるようなサイケな雰囲気を感じるのは、ジョン・ロードがイニシアティブを取っているからでしょうか?よくも悪くもDEEP PURPLEはリッチー次第ということなんだろうと思います。

 ついでに1973年の来日公演の日程も明記しておきます。

 6月23日(土)広島市公会堂
 6月24日(日)名古屋市公会堂
 6月25日(月)日本武道館
 6月26日(火)日本武道館 <前日の暴動のため公演中止>
暴動 6月27日(水)大阪厚生年金会館
 6月29日(金)大阪厚生年金会館

※演奏曲目は前年の来日と同じ(ただし武道館公演と大阪2日目はアンコールなし。アンコール曲は“Black Night”)。イアン・ギランは、初回来日時より髪を短く切り、ヒゲをたくわえていました。

 実はリッチー・ブラックモアはこの日本公演を最後に第2期PURPLEが終焉を迎えるために、公演ごとに1本ずつ自分のストラキャスターを壊して行くつもりでいたそうです。ですが、ギターを折るほど、気分が高揚することは一度もなく、結局、日本公演で1度もギターを壊すことなく終わってしまったのです。途中の“Stranfe Kind Of Woman”のギランとリッチーの掛け合いなども形式的で非常に短かかったです)
 25日は観客が乗ってないと判断したメンバーがアンコールをやらず、心ない一部のファンが怒って暴動を起こしました(右の写真は暴動を伝えた雑誌からの写真)。その結果、翌日の公演が出来なくなって中止を余儀なくされました。26日のチケットを持っていたファンは本当に残念だったでしょうね。

 6月29日、大阪最終公演ではアンコールを要求するファンたちにイアン・ギラン独りが登場し寂しそうにぽつりと“The end…..Good bye….”とつぶやいて、アンコールに応える演奏をすることもなく去っていったのです。
 この夜を最後にDEEP PURPLEが再結成されるまで、リッチーとギランは2度と同じステージに立つことはなかったのです。


 25周年記念のリマスター盤は廃盤のせいか、高いのであまりオススメできません。