COME TASTE THE BAND / DEEP PURPLE (カム・テイスト・ザ・バンド/ディープ・パープル)

2020年5月5日

 

COME TASTE THE BAND/DEEP PURPLE

1. Comin’ Home

2. Lady Luck

3. Gettin’ Tighter

4. Dealer

5. I Need Love

6. Drifter

7. Love Child

8. This Time Around/Owed To 'G’ (Medley)

9. You Keep On Moving

 

※曲目はオリジナルアルバムの曲目を紹介しております。

※ジャケットは発売された国や時期によって各種あるので、ご了承ください。ジャケットはなかなかオシャレです。それがハード・ロック向きかは別にして。

 リッチー・ブラックモアの脱退が決定的になった時、残りのメンバーたちはバンドを続けていくべきか迷った時期があるようです。ジョン・ロードなどは特にこれを期に音楽界から引退をしようかとも考えたことがあるようです。

 しかし、他のメンバーに説得されて、ギターに新メンバーを加えて続けて行こうという話になって行きました。そのため、バンドはオーディションをして、あれこれといいギタリストを探したようです。そして白羽の矢が立ったのがアメリカのJAMES
GANGというバンド(以前、EAGLESのギタリスト、ジョーウォルッシュが在籍したバンド)のギタリストをしていたトミー・ボーリンでした。deep purple IV

 実はトミー自身もDEEP PURPLEというバンドはあまりよく知らず“Smoke On The Water”をヒットさせたイギリスのバンドという程度の知識しかなかったそうです。しかし、一緒にセッションをしてとてもうまく行き、断る理由もなかったので、メンバーに決まったのです。

 トミーはちょうどソロ・アルバムを作る計画があったので、そのレコ-ディングを済ませたあと1975年8月に合流し、新しいアルバムの制作に取りかかったのです。ドイツのミュンヘンでレコ-ディングは行われたのです。途中、ベースのグレン・ヒューズが肝炎にかかるハプニングがありましたが、レコ-ディングを済ませて、新アルバム「COME TASTE THE BAND」は11月に発売されました(全英19位、全米43位)。

 ファンキーな路線化していた当時のPURPLEにはぴったりのギタリストといえるでしょう。ただし、トミーにはかなり大きな問題があったことがのちに分かることとなるのですが・・・。

 さて1曲目“Comin’ Home”・・・ギター・ソロはかなリッチーぽくなっています。悪くないです。しかし、サウンドはアメリカナイズされており、かつてのPURPLE色はありません。

 2曲目“Lady Luck”・・・覚えやすいフレーズ。初期のWITESNAKEっぽい。

3曲目“Gettin’ Tighter”・・・グレン・ヒューズがリード・ボーカル。ギター・ソロはハード・ロックというより、ジャズがファンクの感じ。

 4曲目“Dealer”・・・ディストーションがかなり効いたギターがジミヘンっぽいです。

 5曲目“I Need Love”・・・ファンキーですね。この曲もイギリスのバンドじゃないみたいです。昔アベレージ・ホワイト・バンドっていう白人なのに黒っぽい音を出す、スタジオ・ミュージシャンが結成していたバンドがありましたが、そんな感じです。

 6曲目“Drifter”・・・楽曲自体は悪くないと思います。ギターはついついリッチーと比べたくなりますが、トミーもいい味を出していると思います。

 7曲目“Love Child”・・・これは覚えやすいメロディで、なかなかいい曲です。

 8曲目“This Time Around/Owed To 'G’”・・・これもロックっていうより、ジャズですね。グレンの歌がいい感じで、ピアノもよいです。

 9曲目“You Keep On Moving”・・・このアルバムのペスト・トラックでしょうか?さすがにDEEP PURPLEって名に恥じない演奏をするなーと思います。

 アルバムを通して聴けば、よくできたアルバムだと思いますが、DEEP PURPLEという名前とはかけ離れたところにある音ですね。嫌いじゃないですけど(むしろ、「STORMBRINGER」よりは聴きやすいと思います)。

 ただ、トミー・ボーリンがかなりのドラッグ中毒だったため、ライブをやっていても、体調のいい時はいいコンサートになっても、酷い時にはカネ返せっていうくらい人を舐めているとしか思えないようなギターを弾いていたようで、これにつられてグレン・ヒューズもクスリにだんだんハマっていったようで、アメリカ人対イギリス人という対立がバンド内に出来てったようです。

 1975年12月に来日した際、第3期のライブを体験してない日本のファンは喜んだようですが、武道館公演ではトミーの状態が酷くて聴けたものではなかったようです(来日当時はトミーが手のアクシデントと発表さてていました。ライブ盤も出ましたが、当初は音が酷く、マスター盤が出てまともにきけるようになったようです。一応下で紹介しておきます)。

 デビッド・カバーディルなどはソロ・アルバムを企画していきDEEP PURPLEとして活動していくことに疑問をみんな持つようになり、デビッドが脱退を発表、結局1976年7月DEEP PURPLEの解散が正式に発表されます。

 トミーは12月に2枚目のソロ・アルバムを発表しますが12月4日、ホテルの一室でひっそりと亡くなっているのをガールフレンドに発見されます。アルバムにトミー・ボリンに漢字を当てた「富墓林」に“墓”という字が入っていたために不吉とされたと日本では騒がれました。