DEEP PURPLE(3rd ALBUM) / DEEP PURPLE(ディープ・パープルIII)

2020年5月2日

 

DEEP PURPLE

DEEP PURPLE/DEEP PURPLE

 

 

1. Chasing Shadows

2. Blind

3. Lalena

4. Fault Line

5. The Painter

6. Why Didn’t Rosemary?

7. Bird Has Flown

8. April

※曲目はオリジナルアルバムの曲目を紹介しております。

※ジャケットは発売された国や時期によって各種あるので、ご了承ください。ここで紹介しているのはイギリス盤のオリジナル仕様。

 ジャケットの絵はHieronymus Bosch(ヒエロニムス・ボッシュ)という画家の地獄絵(「快楽の園」という絵の1パート)が使われています。ジャケットは縦長の見開きジャケットになっています。じっくりと眺めると怖い絵です(この写真の向かって右端の絵が原画画像)。

 このアルバムは発売(1969年6月)直後、PURPLEが最初に契約していたアメリカの弱小レコード会社の“Tetragrammaton”が倒産したり(その結果、ワーナー・ブラザーズという大手と契約できたので将来的にはよかったのですが)、メンバー交代へと流れてたりしたため、あまり評価されてはいませんが、私は非常によくできたアルバムだと思っています。第1期DEEP PURPLEのアルバムの中では一番コンセプトもしっかりとして(ジョン・ロードがもろイニシアティブを取ってますが)評価していいと思っています。

 自信の表れかアルバムタイトルもグループ名そのものになっています。もっとも、これがすごく売れていれば、ハード・ロック・グループのDEEP PURPLEは誕生してなかったでしょう(全米チャート最高位162位)から、皮肉なものですね。

 1曲目“Chasing Shadows”ですが、イアン・ペイスのドラムスが大胆にフィーチャーされた曲であり、ジョン・ロードの中世風のハモンド・オルガンとロッド・エバンスのヴォーカルがよくマッチして、リッチー・ブラックモアのギターも悪くありません。

 2曲目“Blind”はロッド・エバンスの声をうまく生かしたミドル・テンポのいい曲です。リッチーのギターにハープシコードっぽいキーボードがうまく絡む、アレンジも素晴らしく第1期DEEP PURPLEの特徴がよく表れた曲だと思います。

 3曲目“Lalena”は甘いバラード・ラブソング。PURPLEはこの路線をうまく追究していけば、それはそれでかなりの成功が出来たのではと思います。もっともリッチー・ブラックモアは耐えられなかったでしょうが・・・。ロッド・エバンスはこういう歌を歌うと素晴らしいですね。

 4・5曲目“Fault Line”~“The Painter” 逆回しのテープ音からなる“Fault Line”(昔はこの手の演出は多かった)そして“The Painter”はリッチーのギターがフィーチャーされており、フレーズ的には「DEEP PURPLE IN ROCK」につながるリッチー・ブラックモアの片鱗が聴けます。

 6曲目“Why Didn’t Rosemary?”もリッチーのギターはかなり聴かせてくれます。彼がやりたい曲はこんな感じなのだというのを暗示させてくれるフレーズが出て来ます。その後、第2期のライブで“Strange Kind Of Woman”の中でイアン・ギランと掛け合いをしていたようなフレーズも出てきます。

 7曲目“Bird Has Flown” この曲でのリッチーのギターもなかなかのもので、はやり2期にやりたかったものがこのあたりにくすぶっていたのでしょう。

 8曲目“April” 邦題を“4月の協奏曲”と言います。ジョン・ロードはこういう曲をやりたかったのだろうという集大成がこの曲に表れています。賛否両論はありますが、この曲に関する限り私はよくできた曲だと思います。

 協奏曲の名の通り、メロトロンのコーラスも入り、途中からは本物のオーケストラまで入る(というかオーケストラの音しかしなくなる)大作に仕上がっています。メロディ自体なかなかここちよく、どうせならもう少し聴かせろよ、というようなところで終了してしまいます。

 なお、グループは1969年に入ってから気まずくなって来ており、アルバムが発売される頃にはすでにヴォーカルのロッド・エバンスとベースのニック・シンパーは脱退する方向で話は進んでいたようです。またグループが進むべき道も、ジョン・ロードが嗜好するクラシカル路線かリッチーブラックモアが嗜好するよりハードな路線かでかなりもめ始めた時期でもあったようです。

 もともとアメリカのレコード会社“Tetragrammaton”はDEEP PURPLEをティーン・エイジャーが望むポップで可愛い子ちゃん的なイメージと、音楽的にうるさい通のファンが好む現代的なものとの中間で売ろうとしていたのですが、衣装はそういうイメージではあっても、ライブがいったん始まると、ポップな曲が並ぶというより、楽器演奏が延々と続くような通好みなものであったから、作り上げられたイメージからの脱却という点からもメンバー・チェンジは必要だったのでしょう。

首になるロッド・エバンスもニック・シンパーも自分の志向する音楽性とDEEP PURPLEのやっていることに違和感は感じていたようであるが、突然の首には腹を立てたようで、その後、二人はPURPLE側を訴えて勝訴しているが、二人は二度とPURPLEに戻ることはなかったのです。

 その後、ロッド・エバンスは彼の憧れだったアメリカへ移住し、第1期DEEP PURPLEと曲調が比較的似たサイケな音楽をやっていたアメリカのグループIRON BUTTERFLY(アイアンバタフライ)のラリー・リノ・ラインハルト(Gu)とリー・ドルマン(B)などとともにロサンジェルスでCAPTAIN BEYOND(キャプテン・ビヨンド)というグループを結成するのです。1972年に発売されたデビューアルバムはそこそこ売れたものの、2枚目はぱっとせずにグループは自然消滅の形で終わっています。
 他方、ニック・シンパーはイギリスでWARHORSE(ウォーホース)というバンドを結成。こちらも2枚のアルバムを発表していますが、セールス的には成功していません。